松下幸之助さんならどうなさったか

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こんにちは!中井純子(ナカジュン)です。

今日は、お礼状を書いておりました。

お恥ずかしながら、3ヶ月前の事についてのお礼状を書いておりました。

今更ながら、遅くなったし、どうしようかと思いました。
ふと、「松下幸之助さんならどうなさったか」と思い検索してみました。

なんと!
松下幸之助さん、27年ぶりのお礼状を書いておられました。

ジーンとしました。

詳しい話は、編集後記に載せますね。

「3ヶ月はまだ早い!」と思って、お礼状を書きだしたナカジュンでした。

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★私からあなたに質問します!

それは、もう遅いですか?

 
このメールに返信で
ナカジュンに感想届きます♪

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【 ★ 編集後記(おまけ) ★ 】

〜松下幸之助さん、27年ぶりのお礼状〜
出展:心を込めた手紙を送る〜松下幸之助 おもてなしの心 月間「PHP」

大正14年、ある大手銀行が、当時大阪市内にあった松下電器の近くに支店を設立しました。

幸之助はそこの若い行員に何度も勧められ、昭和2年、取引を開始します。ただしその条件として、前例のない2万円の貸付枠を約束させました。

ほどなくして金融恐慌が起こります。取り付け騒ぎで従来の取引銀行が支払い停止となり、松下電器は窮地に陥りました。しかし、そんな事態の最中でも、その大手銀行が貸付の約束を履行し、ピンチを脱することができたのです。幸之助はその恩義から、のちに本社を市外に移転しても、取引支店を変えませんでした。

ところが、昭和28年、同行の要請で本店に取引先を移すことに。幸之助は、勧誘した当時の若い行員にそれまでの感謝の手紙を送りました。受け取った行員は他支店に異動していましたが、「(松下電器が発展したのは)別けても尊台(行員のこと)の御高配の賜と平素深く感謝いたしております」と丁寧に書かれた文面に驚きます。そして、多忙を極める幸之助が26年ものあいだ一行員の自分を忘れずにいてくれたことに感激し、定年後は松下電器に奉職したそうです。

松下幸之助さんのこういったところが大好きです。

松下幸之助歴史館には、まだまだ幸之助さんの胸にジーンとくるエピソードがたくさん展示されています。

6月に新型コロナウイルスどうなっているかわかりませんが(終息しているはず!)みなさんと見学する準備しておきます。残席7名様です。
http://venus.mail2you.biz/nakajun09/

手洗い・ウガイにくわえて、睡眠をしっかりとってまいりましょう。
全ての病気の予防になります。

中井純子(ナカジュン)

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