こんにちは!
中井純子(ナカジュン)です。
今週は6月1日開催の「松下幸之助歴史館へ行こう」の準備をしています。
今週は、松下幸之助さんのことをご紹介したいと思います。
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まずは、松下幸之助さんの年表をご紹介します
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日清戦争の始まる年に生まれて、
小学校を4年で中退、大阪に丁稚奉公、
11歳 五代自動車店に奉公、お父さん死去
12歳 大阪電燈に入社
21歳 井植むめのと結婚
23歳 大阪電燈を退職し、ソケットの生産・販売に着手
24歳 松下電器器具製作所を大阪市に創立
33歳 砲弾型電池式自動車ランプを開発
35歳 角形ランプを「ナショナル」の商標で発売
綱領・信条を制定
38歳 第1回創業記念式典にて「水道哲学」を発表し、実現のために「250年計画」を発表。
49歳 事業部制を導入
49歳 門真地区に本社・工場を建設
52歳 GHQより7つの制限をうける(1950年までに解除)
52歳 PHP研究所を創設
65歳 戦後初の海外販売会社として「アメリカ松下電器」を設立
67歳 会長就任
70歳 熱海会談
71歳 週5日制を導入 6章
86歳 松下政経塾
94歳 4月27日、死去
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★私からあなたに質問します!
年表から
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【 ★ 編集後記(おまけ) ★ 】
年表をみると
94歳までご存命でした。
長寿でいらっしゃいますが
実際には、とても身体の弱い方だったそうで
よく伏せていらしたそうです。
それゆえ、新人でも商品製造の秘伝を教えたり
責任ある仕事を任されたそうです。
「身体が弱かったこと」それが
松下電器(現、Panasonic)の発展になったとおしゃっています。
松下幸之助歴史館では94歳まで生涯が、順に展示されています。
6/1は、松下幸之助さんの生涯をみなさんと見学したいと思います。
明日も引き続き、幸之助さんのことをお届けいたいます。
しばらくお付き合いくださいませ。
只今、私の頭は「幸之助さ〜ん♪」になっております。
中井純子(ナカジュン)